安室奈美恵 バラード・ベスト発売までの彼女の軌跡…… [音楽]
6月4日
安室奈美恵
自身初となるバラード・ベスト・アルバム『Ballada』Ballada (AL+DVD) (特典ポスターなし)
がリリースされた。
安室奈美恵スペシャルサイト
デビューから一線で活躍している安室奈美恵。
その中でも彼女の唄うバラードは
何か安らぎを与えてくれる。
ミニスカート・厚底ブーツ・ロングヘアに茶髪
安室奈美恵に憧れる
アムラーと言われる女性が誕生した
1995年。
そんな彼女もデビューしてから早いもので
20年。
大人になりました(笑)
アムラーから安室奈美恵に変化を遂げた
彼女の軌跡について触れてみましょう
安室奈美恵
1997年9月20日生まれ
沖縄県出身
安室奈美恵withスーパーモンキーズとして
【TRY ME~私を信じて】でデビュー
後ろで踊っているのはMAXです^^
1996年にはソロとして史上最年少で第38回日本レコード大賞で大賞を受賞
浜崎あゆみ
倖田來未
などの女性シンガーの草分け的な存在でしたね。。
数々の金字塔を打ちたてた彼女ですが
当時の活躍にはやはり彼の存在が
大きかったのでないでしょうか……
小室哲哉
『Don't wanna cry』
『You're my sunshine』
『a walk in the park』
『CAN YOU CELEBRATE?』
などの名曲は彼が手がけました。
中でも
1997年2月にリリースし、ドラマ『バージンロード』
の主題歌となった
「CAN YOU CELEBRATE?」はダブルミリオンを突破し
オリコン年間シングルチャート首位を獲得。
同時に、邦楽女性ソロアーティスト歴代1位のシングル売上を記録した
(2014年現在もこの記録は破られていない)
彼の全盛期なころですね(苦笑い)
今回は彼の話は割愛させて頂きます(笑)
また機会があれば……
彼のプロデュ―スから離れた彼女は
Suite Chicとしての活動を開始。
R&B、HIP HOP系の豪華なクリエイターとのコラボレーションによる
ストリート色の強い【When Pop Hits The Fan】はR&Bシーンを揺るがせた。
その後のシングル『Shine More』『Put'em Up』『So Crazy』でも
これまで培ってきた“安室奈美恵”独自のスタイルを確立している。
~歌姫安室奈美恵の私生活~
1997年10月
TRFのSAMと結婚
1998年5月
長男 温大(はると)君誕生
彼女の左手には
はると君のタトゥーが入ってます。
2002年7月
SAMとの離婚が成立
一時は親権をSAMに渡すが
2005年に安室が親権を取り戻しました。
離婚当初はSAMの実家
丸山家の跡取りとして
どうしても【温大】君を欲しかったみたいです。
そうSAMの実家は
大学院の経営者で兄弟3人全員
医者という頭脳一家でございます。
その後
親権を獲得した安室は
息子中心の仕事にチェンジ。
【極力6時以降の仕事は入れない】
と決めたり
【学校行事になるべく参加する】
など
息子との二人三脚で生活をしてきました。
彼女はそんな息子との思いを
:安室奈美恵のために、家族を犠牲にはしない
:家族のためなら、安室奈美恵を犠牲にすることはまったく怖くないし躊躇もない
:人がどう思うと関係ない。私は息子のため自分のために歌い続ける
:息子のために頑張らなきゃいけない。 それが生きがい
と語っています。
スーパースターであっても
愛情あふれるお母さんですね。。。
現在15歳の温大君
かなりのイケメンらしいですが
画像がないのであしからず^^
高校は
千葉県の暁星国際学院に通っています。
早稲田、慶応、東大などの合格者を
多数輩出している名門校らしいです。
小さいころから
インターナショナルスクールに通っている
温大君はすでに英語が堪能との事です。
うらやましい……
将来が楽しみです^^
お母さんとの共演!!?
なんて事ももしかしたらあるかも
しれませんね。
マー君 野茂以来19年ぶり月間MVPを獲得!!【ドクターK】は今? [スポーツ]
海の向こう
アメリカに渡っても大活躍中の
マー君
並似る強豪打者をバッタバッタと
伝家の宝刀
スピリットで三振の山を築き
5月の1カ月間、6試合に登板、43回を投げ、5勝1敗、防御率1・88、42奪三振をマーク。
勝利数は最多タイ、防御率は2位、奪三振は3位、投球回は3位と
エースにふさわしい成績を残し見事
月間MVPを獲得。
本人は
「うれしいです。(何を評価されたかは)分からないです。
自分自身でも選ばれると思っていませんでしたし、
他にたくさんピッチャーがいるので。本当に、聞いたときは、
あ、獲れたんだ、という感じでしたね」
とコメントしています。
新人として月間MVPを獲得したのは
野茂以来19年ぶりの快挙!!
ダルビッシュも取っていなかったのですから
その活躍は言うまでもないですね。
さてさて今回の活躍もすごいですが
19年前に月間MVPを獲得した
野茂秀雄とはいったいどんなピッチャーだったのでしょうか?
====【野茂秀雄とは】====
1968年8月31日生まれ
大阪市出身
小、中学校時代は無名だったが
高校に入ると実力の片りんを見せ
卒業時にはプロからの誘いもあったが
新日本製鐵堺に入社。
1988年のソウルオリンピックでは銀メダル獲得に貢献している。
アマ№1投手になった彼は
ドラフト会議でなんと
8球団からの指名を受けた。
抽選の結果当時の近鉄(現在のオリックス)が
交渉権を獲得。
契約時に彼の代名詞トルネード投球フォームを変更しないという条項が付け加えられた。
新人として入団した1990年。
彼はトルネード投法で大活躍し
なんと投手部門
最多勝利・最優秀防御率・最多奪三振・最高勝率の4冠を獲得した他
ベストナイン・新人王・沢村栄治賞・MVPにも輝き
「ドクターK」の異名に違わぬ活躍を見せた。
そして1995年2月8日に「ドクターK」の異名を引き下げ
ロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結ぶ。
ちなみに年俸は近鉄時代の1億4000万円からわずか980万円です。
なんか侍魂を感じます。
今の日本人の活躍があるのはこの時の
野茂があったかもしれないですね。
マー君感謝しましょう<(_ _)>
そして彼はデビューから大活躍をし
球団新人最多記録の16奪三振を記録
球団新記録となる4試合での50奪三振を達成
シーズン通算で13勝6敗
防御率2.54・236奪三振、リーグ最多の3完封
チームの7年ぶりの地区優勝に貢献
日米で『NOMOマニア』という言葉が生まれる程の人気選手となった。
何か今のマー君に似ているところがありますね。
その後3球団を渡り歩き
2005年惜しまれつつも引退。
彼の現役時代の輝かしい成績、活躍をまとめてみました。
改めて見ても野茂秀雄は凄い選手です^^
現在は【NOMOベースボールクラブ】
を設立したり臨時コーチをやるなど後身の指導をしているそうです。
マー君やダルビッシュなど
大リーグで活躍する日本人
【NOMO】の功績は
今後も語り継がれていくことだろう。
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